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真冬の全員集GO!快な打ち上げ花火!?(5)

こんなことにこだわっているのはわたしだけでしょうね。賢明なファンの方達なら、それぞれの時代のモーニング娘。やユニットを分けて楽しんでいることと思います。しかし、わたしにはどうも「ほんもの」という言葉が引っかかる。これからも間違いなく「ほんもの」のタンポポをブチ上げてくるだろうし、ミニモニ。やカントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)、どちらも無理があるけど、ごまっとうなどネタにはことかかないハロプロだ。たまたま、これらのユニットは活動中止状態(カントリー娘。本体は除く)なので、モーニング娘。OG組が出てきた時のような比較論にはならないでしょうが、そのたびに同じことを言う方が出てくるでしょう。コンサート評とは少し横道にそれますが、ここでこの問題をさらに掘り下げて考えてみたいと思います。

一番分かりやすい例は、ビートルズの『プリーズ・ミスター・ポストマン』でしょう。これはビートルズのオリジナルではありません。いわゆるカバー曲です。最初に歌ったのはモータウン初期の女性グループ「マーヴェレッツ」。彼女達の1961年のヒット曲です。今聞くと実にのんびりした牧歌的な感じ。曲自体は良い曲ですがね。これを1963年、わずか2年後にビートルズは、ジョン・レノンのパワフルなボーカルに乗せて、まったく別のアレンジで『プリーズ・ミスター・ポストマン』を仕立て上げたのです。これは現在でもかなりハードな出来ですね。これがウケてアルバム曲であるにもかかわらず、『プリーズ・ミスター・ポストマン』と言えばこのビートルズ・バージョンを思い浮かべる人は多いです。1970年代に入るとこの歌はさらにカーペンターズによってもカバーされヒットしました。このバージョンも、いかにもオールディーズナンバーを得意とするカーペンターズらしく、ちょっとノスタルジックなさわやかな仕上がり。どれも同じ曲ですが、どれを指して「ほんもの」と言えるのでしょうか?

さらにクラシック音楽で言いますと。ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツとグレン・グールドが同じピアノ曲、そうですね、ベートーヴェンの『ピアノソナタ8番「悲愴」』など演奏したとしましょうか。これを聞いてホロヴィッツが「ほんもの」でグールドが「にせもの」だ、なんて言ったらクラシック・ファンに総すかんを食らいますよ。これは指揮者やオーケストラでも同じことが言えます。また、たとえが飛びますが、日本の落語なんていう伝統芸ではどうでしょうか。とくに古典の場合、同じ演目でも落語家さんによってかなり印象の違うものが語られます。「文七元結」という古典落語があります。名人と言われた古今亭志ん生の「文七元結」は、江戸下町に住む人間像をおもしろおかしく話し、江戸っ子の粋を表現しました。息子さんの古今亭志ん朝は、さらにそれを押し広げ、江戸っ子だけに限らない人間誰しも持つ情というものを重点にしたのです。また、やはり近代の名人と言われた三遊亭圓生もこの演目を話しています。ここでは、ぐっと、お話そのものに力点を置いて、笑いはそこそこにし、物語性を高めた人情話にしていましたね。すばらしくも聞き応えのある落語です。これも言うまでもなく、どれを「ほんもの」というのでしょう?

たとえが大仰になってしまいましたが、歌という芸を売るハロプロでも同じ。歌い手が変われば表現も変わるのです。それぞれがそれぞれの持ち味があるので「ほんもの」「にせもの」という表現はいかがなものか? そこにあるのは、誰々の組み合わせは、すばらしかったとか良かったとかなど、「名演」と言う言葉しかないのです。またこれから、新しい組み合わせが出来た時には、過去のものと比較せず、良い面を伸ばせて上げたらいいな、と思います。それにしても、多くの歌を歌い継ぐことの多いハロプロは、もはや古典芸能かもね!?

以上長くなりましたが、明日からはコンサート自体の話にもどります。されば……。

(つづけ) 

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Comments

こんにちは。

私はmamedama2さんのように音楽や芸能に精通していませんし教養も少ないので、感覚が違うのかもしれませんがコメントしてみようと思います。
例えば、厳密にプッチモニの歴史を見た場合、後藤・保田・市井の3名で歌う「ちょこっとLOVE」が『本物』であり、後藤・保田・吉澤の3名で歌っているのはもう『本物』ではないわけです。では後藤・保田・吉澤の3名でプッチモニを名乗り歌うのは『偽物』なのか?と問うて「はい」と答える方がいらっしゃるのか。
mamedama2さんが、ビートルズやクラシック音楽、そして古典落語などに例を挙げて仰られたいことは、そういうことかと存じます。「LOVEマシーン」を言及するならば、それはもう多種多様なご意見があることでしょう。
私は今、この様に感じております。先日、遅蒔きながらアルバム「№5」を拝聴いたしました。そこには「ほんもの」のモーニング娘。というエンターテイメントがありました。では「4thいきまっしょい」や「愛の第六感」は「にせもの」なのか?私の答えは「いいえ」です。それらはまだ「ほんもの」の域に達しられない未熟さを感じる(これは楽曲の良否を問う意見ではございません)のであり、しかしその未熟さ故の魅力が存在しておるのであります。
私なりの結論といたしまして「ほんもの」と「ほんもの未満」というパフォーマンスの差が意見の分かれどころであり、「にせもの」というのはこれらの「ほんもの」論争の中には在りえないのだと思います。

長文コメントで失礼いたしました。

Posted by: TOMONO | February 07, 2006 03:58 PM

TOMONOさん、今回も真摯なコメントありごとうございました。

はじめに、「No.5」を聞いてくださりありがとうございます。別にわたしの記事のせいではないと思いますが、うれしいです。

今回は正直、お返事を書くのに悩み時間がかかりました。で、書こうと思いましたがやっぱり出来ませんでした。もちろん、ご意見はありがたく受け止めております。ただ、今は時間だけが過ぎて行くので、後日改めてコメントなりしようかと思っています。

また、コメントよろしくお待ちしております。

Posted by: mamedama2 | February 08, 2006 04:17 PM

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