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2006年12月 9日 (土)

ポップ・ジェネレーションのための「ミュージック・ライフ」1975年12月号

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今回は、「ミュージック・ライフ」1975年12月号から広告を数点載せてみました。表紙はポール・マッカートニー&ウィングス。ポールとリンダのポーズは「おひかえなすって!!」と仁義をきっているのでしょうか? たしかにこの頃は世界股旅ツアー中だったはず!? 

本号ではいよいよ来日するポール・マッカートニー&ウィングスの大大特集でやんす!! 表紙からカラーグラビア3ページなぜかリンダさん大フューチャー。来日前のオーストラリア現地取材、インタビュー、コンサート評、オフショット等を含めたモノクログラビア14ページ。本文記事ではリンダへのメロディーメイカー誌インタビュー「ポールと結婚したとたん、私は魔女のように扱われたわ」3ページという来日アーティストの中では破格の扱い!! それはそうでしょう、なんといってもポール・マッカートニーですからね。しかも、ビートルズとして来日してから今の感覚でいうとわずか9年しか経っていない。さらに当時ウィングスも絶頂期だったですから。

しかし、そのポールもローリング・ストーンズ同様来なかった!!! 雑誌の奥付けと後ろグラビアページの間に、いかにも慌ただしい感じでオレンジ色の小さな紙が挟まっています。そこには「緊急特別レポート ポール・マッカートニー来日中止!! あまりのショックにポールは口もきけず…」と手書きの文字が。原因として、ポールの農場にマリワナの草が生えていたことではないかと推測。ミュージック・ライフでも法務省に来日許可の嘆願書を出したといいます。そして、読者にもハガキで嘆願するようお願いしているのです。

結局、これは叶わず後年再度来日するも空港で逮捕という結果に。ことの真偽、また法務省の見せしめ的行為の是非は問いませんが、少なくとも当時の政府はこのようなことに関して現在よりきびしく対処していたのは間違いのない事実だと思います。

まあ、話が堅くなってしまいましたが、広告に載っているスリー・ディグリーズのセクシーな姿でも見て癒されて!? ください。では、このへんで…。

以下順に上記写真の主な作品名(アルバム・シングル)を載せておきます。

ジェスロ・タル「天井桟敷の吟遊詩人」、アルヴィン・リー「ポンプ・アイアン」他(左ポスター裏広告)

ポール・マッカートニー&ウィングス「ワイン・カラーの少女」他
ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド「ジョン・レノンの軌跡」他

ニッティー・グリッティー・ダート・バンド「ドリーム!」他
スパークス「スパーク・ショー」他

ザ・フー「ロックンロール★ゲーム」他
エドガー・ウインター・グループ「謎の発光物体」他

ラベル「不死鳥はブルースに踊る」他
スリー・ディグリーズとボビー・マーチン&MFSB「スリー・ディグリーズ&MFSBショー第2集」、「ディスコ・パーティー第1集」、「ソウル・トレインのテーマ第3集」他(右ポスター広告)

ヴァン・マッコイ「ディスコ・キッド」
スタイリスティックス「ユー・アー・ビューティフル」

ファーカス「マザー・フォーカス」他
ロイ・ブキャナン「ライヴ・ストック」他

ミリー・ジャクソン「続 愛のとりこ」他
エリック・クラプトン「ライヴ」、リッチー・ブラックモアズ レインボー「銀嶺の覇者」

グレコ・ギター(Greco)広告、写真フェリックス・パパラルディ使用楽器EB720ベースギター

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