2009年5月16日 (土)

「リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド」1989年日本公演プログラム

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今回は、1989年11月6日日本武道館大ホールで見た「リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド」日本公演プログラムから数ページ載せてみました。その表紙には、ペプシのマークの下に「A CONCERT FOR ALL GENERATIONS」とあるように、ロック・ファンなら、いやロックを知らない人ても一度は聞いたことのあるセット・リストで、老いも若きももれなく楽しめる理屈抜きの豪華ライブだった!! 

もう20年も前なんですね。リンゴはビートルズ解散後もいち早く日本のCMなんかに出演するなど、ジョン・レノンを別にすれば、なかなか日本に縁のある人!? そんな彼が、盟友ジョージ・ハリソンのトラベリング・ウィルベリーズに刺激を受けたのか、ロック界の兵(つわもの)どもを引き連れ大ロックンロール・ライブを敢行するという話は、ソロ公演をやるにはやや苦しいリンゴにはもってこいの企画と思えました。そこにはリンゴが持つ人間性も浮き出ていましたしね。アメリカでのライブも30カ所以上!! その好評さをそのままに来日!! ポール・マッカートニーに続き、リンゴ・スターまで見られるとは!! おまけに!? ビリー・プレストンまで来るだと!! これは黙っていられません!! ということで武道館へGO!! と相成ったのでございます!!

「リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド」はこの後メンバーを6、7回替えてツアーをしてますね。最近もあったようです。この時が第1回。一番豪華だった!? それはいいっこなしよ!! わたし自身も何年か後の3回目のメンバーでの来日公演を同じ武道館、たしかステージ最前列だったと思いますが、見てます。では、今回1989年版「リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド」のメンバー紹介を。ドラムス&ボーカルは当然!? リンゴ・スター。ギターはリンゴとの付き合いも深いジョー・ウォルシュ。キーボードは、説明無用のビリー・プレストン。ベースはリック・ダンコ。ギターは、ニルス・ロフグレン。スプリングスティーンのバンドのね。ドラムス、レボン・ヘルム。リック・ダンコとザ・バンドのコンビですね。キーボード、アイコアイコのドクター・ジョン。サックスには、ブルース・スプリングスティーンの相方!? クラレンス・クレモンズ。最後は、ドラムスにジム・ケルトナーと。おい、ホントかよと、目を疑うばかりのメンツです。例え「懐メロ」ツアーと陰口をたたかれても、こんなライブはそうそうないよ!!

で、そりゃこのメンバーが自前(一部カバー!?)の歌を次から次ぎと歌うわけですから、ベスト・ヒット・パレードみたいなもんですよ。息抜き、ダレ、一切なし!! 楽しかった!! はっきりいって、6,500円おつりがきました!? リンゴもさすがの風格!! これだけのメンバーが集まってもトラブルなし!! う〜ん、もしかしたらあったのかもしれないけど!? ほのぼのロック大会!? もいいものです。

そんなこともあり、数年前に出た「リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド」1989年から2000年までの各メンバーによるライブを収めた「THE ANTHOLOGY...SO FAR」という3枚組のアルバムは、わたしのお気に入り。ロックの名曲が、しかもオリジナル・メンバーが歌っているものが多く、お徳感いっぱい!! iPodで無意識に数多く聞いているのがこのアルバムでした!!

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2009年2月21日 (土)

「ブライアン・アダムス」1988年ジャパン・ツアー・プログラム

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今回は、1988年2月9日日本武道館大ホールで見たブライアン・アダムスのジャパン・ツアー・プログラムから数ページ載せてみました。今気が付いたんですけど、前回(去年)プログラムを載せたミック・ジャガーと同年、わずか1ヵ月前にこのブライアン・アダムスを見てたんですねぇ〜。いや、20年ほど前の日本は景気が良かった。そこでわたしもなんの躊躇もなく外タレ・ラッシュの恩恵を受け、コンサートに行きまくっていたというわけですね。

最近、ビルボードのカタログ・チャートやコンサート収益のチャートでブライアン・アダムスの名前を見ることができました。しばらく音沙汰がなかった(ように見えました)ので、うれしかったですね!! まだまだ、あの若々しいスタイルでロックしているんでしょうか? まあ、とにかく80年代はとくに人気がありました。個人的にはブルース・スプリングスティーン・フォロワーという見方でしたが、そのストレートで親しみやすい彼の歌は、わたしの大好物!? こういった理屈抜きにノレるロックはいい!! 音楽的批評などクソくらえ(表現が下品で失礼)!! みたいな。

そんなことで、ブライアン・アダムスにのめり込んでいたわけではなかったのですが、コンサート近くになると無性に彼の歌が聞きたくなった!! 当日券での鑑賞。席はステージ正面の一番てっぺん。天井桟敷ですね。客席はいっぱいでした。プログラムを見ると、すでに3回目の来日にも関わらず、1月29日の横浜文化体育館から、静岡、名古屋、大阪とまわり、2月10日の武道館まで計10公演。武道館だけでも5公演。当時人気絶頂、日本でも高い人気を誇っていたことがわかります。

で、肝心の中身はというとイメージどおりでした。これじゃ〜あまり意味ないですね、スンマセン!! でも、事実そうなんです。悪いことではありません。ファンの期待に見事応えていたからといえるでしょう。そんなブライアンですが、音楽がストレートだからって自身も単純(これは言葉の綾で)なアーティストではないようです。80年代人気アーティスト同様、社会的意識も十分に持ち合わせている。このプログラムには、アムネスティーの広告。また本人が関わっているか判然としませんが、グリーンピースの意見広告が載っています。ライブ・エイドやプリンシズ・トラスト・コンサートにも出演。ちょっと意外だったのは、ロジャー・ウォータースがベルリンで行った「ザ・ウォール」コンサートに出演したこと。これもチャリティー・ライブなのでおかしくはないんですが、ロジャー・ウォータースとのからみがわたしにはおもしろかったです。

ヒット曲に関してはもういいですね。ブルー・ジーンズに白のシャツ。ストラトキャスター(のはず)を手に汗瑞くでマイクに向かう姿は、ロックの基本型。カッコイイですよ!! では、おまけということでプログラムの写真以外の中身を少々。まず、ブライアン・アダムスの誕生から1988年1月までの年表。鈴木道子さんのブライアン・アダムス評、バンド・メンバーのプロフィール(キース・スコット、デイヴ・テーラー、ミッキー・カーリー、ジョニー・ブリッツ、ジム・ヴァランス)、今泉恵子さん、矢口清治さんそれぞれのブライアン・アダムス評。となっております。それでは、次回をお楽しみに!!

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2009年1月13日 (火)

キョードー東京コンサート&音楽情報誌「ミュージックソン」1975年No.65 10月号(他のアーティスト編)

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2年越しの連載となり間延びし心苦しいのですが、お付き合いください。ではまずはお約束の「カーペンターズ大百科」の紹介から。この冊子の真ん中16ページを割いて、しかもここだけ紙と刷り色(濃い緑)を変えての特集扱い。リアルなイラストに、ファンタジックなイラスト。またカリカチュアされたイラストや写真などを豊富に散りばめ、楽しい紙面構成となっています。

最初は川口幸夫さんによる「BIOGRAPHY」ですね。カーペンターズの歴史や時々のエピソードが6ページに渡って書かれている。これを読めばカーペンターズ通になれる!? というものです。次ぎは「カーペンターズ・サウンド&アレンジ」。久松俊一さんのテキストで、カーペンターズ各時代の「音」を技術的に分析。良く研究されています。次ぎは柔らかく「カーペンターズ星占い」を三橋一夫さんの手で。リチャードとカレンをなぜか中国起源の四柱推命術で!? その結果はファンも安心していいですよ、というものに。最後は西野泰子さんの記事で「カーペンターズのファッショッン」を。2人のファッションは、誰にでも取り入れることができるもの。清潔で爽やか。彼らの音楽と同じといいます。お〜とっ、まだあった!! 大百科、最後の最後は、『ソリテアー』の楽譜が1ページとして載っていました。なかなか心憎い編集ですね!!

ここからが「他のアーティスト編」です。ちょっと駆け足となりますが、ご了承ください。カラーページ、カーペンターズの後は、シャーリー・バッシー、ヘレン・レディ、さらにページをめくるとミッシェル・ポルナレフが見られます。さすがに皆若いです!! ファッションも懐かしい!!

読み物も細かい文字でびっしりと充実。中村とうようさんとこの時のキョードー東京の社長さんである内野二朗さんによる対談。これはコンサート運営の内実を語ったもの。結構シビアなこと話してますね。伊藤勝男さんによる「女性ヴォーカルの中のヘレン・レディ」という記事が続きます。当時台頭していた女性ヴィーカリスト達と比較してヘレン・レディの魅力を。コンサートで歌うセット・リストまで掲載されていますよ。これは予習用でしょうか? やはり馴染みの曲があると盛り上がりますからね。さらに来日特集として「デンバーさん、本当のところはどうなんですか?」と湯川れい子さんや中川・G・五郎さんが彼の人気の秘密に迫まるのだ!! 中川さんの記事は、ジョン・デンバーのことが嫌いなのに興味が湧くという屈折!? したもの。いや、好き嫌いは自由ですから結構ですよ。

中央とじ部分には、片観音開きで日本全国のコンサート・スケジュールがイラスト・マップのようにして載っています。これは大手プロモーター、キョードーならではのものでしょうね。後半は「ミッシェルを追って札幌の街へ…」という滝良子さんの6ページを使ったレポート。ミッシェル・ポルナレフの札幌公演を追いつつも、地元の食べ物紹介などを織りまぜ、まるで「an an」「non・no」のノリ!? そういえば滝レポーターの姿もアンノン族!? のよう。ライブは大熱狂だったらしいですよ。

この後はエッセイや映画紹介。日本の音楽状況として、有名な吉田拓郎&かぐや姫の「つま恋」ライブの模様が、レポートされています。ということで、主な内容をお伝えできたと思います。この冊子を読んでいると、当時のロックやポップスの活気が蘇りますね。やってみて大変おもしろかったです!! そろそろネタ切れが心配になってきましたが、またなにか探してみますのでお楽しみに!!!

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2008年12月13日 (土)

キョードー東京コンサート&音楽情報誌「ミュージックソン」1975年No.65 10月号(カーペンターズ編)

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今回は、1975年10月17日(金)日本武道館で行われたジョン・デンバーのコンサート時に配付された、キョードー東京発行のコンサートと音楽(キョードー東京系列で招聘したアーティストに限られています)の情報誌「ミュージックソン」1975年No.65 10月号から数点載せてみました。定価は100円となっていますが、座席に他のコンサート・チラシとともに置いてあったと記憶しています。実は当日のジョン・デンバー・コンサートではプログラムを売っていなかった。そこでこの本を後生大事に持って帰ったわけです。No.65となっていますから、これ以前もこれ以降も発行されていたはず。でも、その後ちょっと見かけないままになってしまいました。B5判で全50数ページ。内容も豊富なので、2回に分けて載せたいと思います。まずはメインのカーペンターズから。他のアーティストは次回にということで。

表紙はカーペンターズ、リチャードとカレンの2人。カレンが手紙を読んでいるこの写真は、おそらく病が癒え、ファンからの激励の手紙を読んでいるということなのでしょう。彼らの真摯な人間性をうかがわせますね。で、表紙を開くと、もちろんカーペンターズ。本来ならこのように来日記者会見もあったはず。カラー・ページはこの後他のアーティストの写真となっていきます。

本文ページにいきますと、上に載せた写真にもありますように、「変りました。」というキョードー東京前売券売場MUSICTHON PLAZA7ケ所(東京地区のみ)へ統合という記事が載っています。当初はコンサート・チケットはプレイガイドで売っていた。でも、この頃になるとコンサートも多くなり、発売時に混乱が起きるようになってきました。ねえ、徹夜して買ったもんですよ。夜中に並んでいると、おまわりさん達が来てご面倒をおかけしましたっけ。わたしもそんなひとりですが。まあ、これは青少年によろしくない!! ということもあっての処置だと思います。

その第1弾が7月27日(日)のカーペンターズ前売券発売!! 三瓶雅浩レポーターの記事でその様子が書かれています。冒頭に予想された混乱もトラブルもなく発売されたといいます。それでもですね、当時のカーペンターズ人気を反映して、やはり徹夜する人達もいたとレポートしてますよ。当日の朝9時になりますと銀座山野楽器本店周辺には500人近くの列ができ、近くのビルから営業にさしつかえると苦情が。当然、おまわりさんも出動の騒ぎに。並んでいた女の子は「昨年は50通出して、すべてハズレたのでガッカリ。今日は5時30分頃来ました。」といっています。

各MUSICTHON PLAZAでは混乱を防ぐため、予定の発売時刻を早め発売。渋谷の日本楽器でも道玄坂までぎっちり列が続いていたらしいです。渋谷の中学生トリオ(なつかしい響き!?)は「私たちは朝の7時に来ました。レコードももちろんみんなもっています。」。売場が5ケ所になったことには「長い目でみれば賛成です。」と眠むそうな目をこすりながら話していたそうです。そして、各店とも昼過ぎても列が途絶えなかったといいます。こうして、カーペンターズ前売券発売の1日は終わりました。最後には、このシステムの意義が書かれてこのレポートは終わっています。

では、特集の「カーペンターズ大百科」に行こうと思いますが、ちと長くなりそう。次回の頭にでも載せます。お楽しみに!!

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2008年10月11日 (土)

「ミック・ジャガー」1988年ジャパン・ツアー・プログラム

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今回は、1988年3月23日東京ドームで見たミック・ジャガーのソロ・コンサート。その「ミック・ジャガー・イン・ジャパン」ツアー・プログラムから数ページ載せてみました。「メイク・レジェンド」が達成されたジャイアンツ。彼らのホーム・グラウンドである東京ドームが出来たのが今から20年前。前身の後楽園球場は、野球ファンだけでなくロック・ファンにも「レジェンド」な空間。そんな思い出もバブル期に完成され、その後数々の「レジェンド」なロッカー達の来日によって、吹き飛ばしてくれたのが東京ドームといえるでしょう。世界的な金融恐慌前夜ともいえる現在から見ると、あの頃はある意味「豊か」だった。

で、広大な東京ドームを満杯にできる、超大物アーティスト来日ラッシュのトップを切ってやって来たのは、なんとあのミック・ジャガー!! それまで何度も彼、またはキース・リチャードの「過去」によってローリング・ストーンズの来日が中止になっていたのですから、どうなっているんだというのが最初の感想でしたね。まあ、中には景気の良いころでしたから、いろいろうがった見方もあったようです。わたしなんかは、ローリング・ストーンズ=不良達、アッこれはイメージですよ、そんなイメージがお役人さんにはあり、そのメンバーのミック・ジャガー1人なら問題ないんじゃないの、なんて考えたんじゃないかなぁ〜、と当時は思っていました。もっともミック・ジャガーがローリング・ストーンズのメンバーだとは知らなかったということも!?

なにはともあれミックは来日し、大阪から始まるジャパン・ツアーを決行!! 3月15、16、18、19日は大阪城ホール。22日、23日が東京ドーム。わたしが行ったのは最終の23日ですね。東京ドームも初めて。といっても、ほとんどの人がそうなんですよね。中に入ると、さすがにきれいで大きかった!! ただスタンド席は、以前の後楽園球場のほうが上まで高かったですけどね。それでも、この時期のコンサートに多かった冠コンサート。ミックの場合は「SUNTORY D・R・Y Beer Live」と銘打たれ、サントリー株式会社がバック・アップ。彼の人気や東京ドーム見たさ!? もあり客席は、ステージ後ろ、脇以外超満員!! すごかったです!!

ただ、コンサートの中身はあまり印象がないんですよ。やはり、いかんせんステージまでが遠い!! 3塁側のスタンドではね。そして、開設当初からいわれていたように、残響音がすごかった。多少の対策は、ミック側もしたようですが、効果はなかったようです。ちなみにこの後すぐに、東京ドームでコンサートを開く予定だった美空ひばりさんは、わざわざこのコンサートに来て「下見」をしたそうです。わたしも何の縁か、東京ドームでの美空ひばりさん「不死鳥」コンサートへ行きましたが、残響音はあまり感じられませんでしたね。現在では、この問題もクリアされたようです。

基本的には、ミック・ジャガーのソロ・アルバムに合わせた、ソロ・コンサート。だけど、やっぱりストーンズの曲もやらざるを得ない!? でも、それはストーンズじゃ〜ない!! ミックのコンサートなんだといい聞かせても、釈然としない。そんな悪くいえば中途半端な印象ですかね。途中同時期に来日していたティナ・ターナーがステージに現れ、ミックと歌う!! まるでライブ・エイドの再現!! まあ、なんだかんだいっても楽しかったです!! しかし、この後3度もローリング・ストーンズは来日してしまうので、このコンサートの価値は半減といったところでしょうか!?

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2008年7月 5日 (土)

「カーペンターズ」1974年ジャパン・ツアー・プログラム

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今回は、1974年5月31日(金)と6月12日(水)日本武道館で見た「カーペンターズ」。そのジャパン・ツアー・プログラムから数ページ載せてみました。カーペンターズにとって3度目の来日公演は人気絶頂時ということもあって、ニッポン放送開局20周年記念行事として行われた公演は、ハガキ応募方式を採用。ニッポン放送には、38万通のハガキが殺到!! 幸運な3万人の中にわたしもいたわけです。しかも、武道館2回も当っている。なのに6月12日の記憶しか残っていないというありさま。人間の(わたしの?)記憶などこんなもんでしょうか!?

ということで、カーペンターズなんてとロック・ファンには白い目!? で見られながらも、当時は社会現象化していたことが、上記のチケット購入方法でもうかがえます。さらにこの公演でのプログラムです。通常のプログラムにありがちな、アーティスト写真を大きく扱ってそれですますようなものではなく、豪華文化人、著名人、芸術家らがカーペンターズについて語りまくっているのです。仕舞いには、彼らをネタにいわゆるイメージ恋愛短編小説まで載っている!! 

では、その読みでたっぷりのテキストや対談に出てくださった方達の名前を書いてみましょう。ちょっと古いかもしれないけど。虫明亜呂無、内村直也、石川弘義、黛敏郎、富岡多恵子、安倍寧、河端茂、楠本憲吉、藤本義一、村井邦彦、牛窪成弘、佐山透、小泉澄夫、星加ルミ子、宮坂恵子、小島良平(敬称略)の各氏。イラストやデザイン担当の方もまじっていますが、当時第一線でバリバリ、マスコミなどに顔を出していた人達ですね。こんなところからもカーペンターズが万人に受け入れられた状況が見てとれます。それが逆に、おもしろくないと思われる方達がいたのも事実でしょうが。

この時の来日公演は武道館だけでなく、わずか2週間ほどの間に、静岡、京都、広島、福岡、大阪、神戸、名古屋、横浜、おまけに、6月12日は夜の公演だけでなく、緑のチケットの横に付いている紙に書いてあるように、「6月12日公演は皆様の強い要望にお答えし追加公演を行う事となりました。その為、誠に勝手ながら6時30分開場7時開演と変更しますので御了承下さい。」、昼の追加公演があったようで、ほぼ全国縦断、すさまじいスケジュールとなっていました。これはなにも日本だけでなく、世界ツアーでも同様だったようでけど、人気が出たら出たで大変なことですね。

実は6月2日(最終公演)の夜公演は、密かにカセット・レコーダーを持ち込みライブを録音(時効!?)。今その時のテープを何十年かぶりで聞いてみますと、1時間10分ほどの短い公演ながら、豊富なヒット曲、巧みなコーラス・ワーク、『イエスタディ・ワンス・モア』のメドレー部分は独立させ、レコードでは聞けないロックン・ロール・スタンダードを数多く入れ込むなど、カーペンターズの実力と魅力が満載!! お客さんも手拍子など即座に反応!! 意外なロック感覚とともに、中身の濃い公演だったことがわかります。そして、そこにはリチャードとカレンの気骨が感じられるのです!!!

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2008年4月26日 (土)

「J.D.サウザー」1980年ジャパン・ツアー・プログラム

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今回は、1980年2月17日(日)と22日(金)新宿・厚生年金ホールで見たJ.D.サウザー。そのジャパン・ツアー・プログラムから数ページ載せてみました。先日、ラジオAFN(昔のFEN)を聞いていましたら、J.D.サウザーの『ユア・オンリー・ロンリー』が流れてきまして、そのあまりな「ロイ・オービソン」ぶりに「へ〜、そのまんまじゃん!!」などと思ってしまった次第で。この曲が流行った頃はそれほどロイ・オービソンを知っていたわけではないので、あ〜似てるなぁ〜で終わっちゃったんですけどね。ロイ・オービソンの音楽が後輩アーティストに与えた影響は、多大なものがあったと改めて認識しました。

話はそれましたが、J.D.サウザーでございます。ウエスト・コースト・サウンドではかなりの実力者であるにも関わらず、やはり『ユア・オンリー・ロンリー』の日本でのヒットを受けての公演だと思います。そこで、わたしだけかもしれませんが、2回もコンサートに行ったのにあまり記憶に残ってないのです。たびたびこんなことで申し訳ありません。ただ、非常にほのぼのとしたコンサートだったと、おぼろげながら覚えています。また、どちらかのライブの途中、プログラムにもその親交ぶりが語られている、泉谷しげるさんが飛び入り参加!! 1曲か2曲J.D.サウザーと一緒になって絶叫!? これには客席もおおいに盛り上がりましたね。

そんなことで、プログラムに目を移しましょう。このツアーは、KYODO東京の企画「Love Sounds '80」で行っているんですね。まあ、音的には、それでもとおりそうですけど、やや違和感があります。表紙は、もろアルバム「YOU'RE ONLY LONELY」を流用。裏表紙もほぼジャケット裏どおり。中ページには、各所に彼が創った歌の歌詞(和訳)がちりばめられていて、ソングライターとしてのJ.D.サウザーが理解できるようになっています。これは結構、いいアイディアですね。さらに、彼自身は寡作の人なんですが、あちこちに顔を突っ込んでいて!? たくさんのアーティストの作品に関わっています。そこで、後ろのページには、それをわかりやすく解説した、中川・M・五郎さんのテキストとディスコグラフィーを掲載。これもGOOD!!

こんなに力が入っちゃうのも、J.D.サウザー自身日本贔屓で、音楽関係者にお友達が多いからでしょう。とくに、このコンサートにも参加した泉谷さんとは物凄く仲が良さそう!! 上の写真にもありますように、泉谷さんの「J.D.と呼ばれる男」というページには、菊正宗の一升瓶を真ん中に、2人で和やかに微笑む写真入り。泉谷さんによると、なんでもJ.D.サウザーはアメリカ人があまり好きではないそうだ!? 三島由紀夫のファンで、ジャクソン・ブラウンと黒澤明の映画を行ったこともあり、黒澤の話になると興奮するらしい!? 確かに物静かな風情は、日本向きかもしれません。

2006年に出た「アサイラム・レコードとその時代」を読みますと、最近では映画やテレビで俳優としても活躍しているようです。それにしても『ユア・オンリー・ロンリー』は、J.D.サウザーのイメージにピッタリ!! ある意味彼でなければ、その味はでないでしょう。名曲です!!

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2008年1月19日 (土)

映画版ロック・ミュージカル「ヘアー」プログラム

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今回は、1980年5月10日日比谷みゆき座で見た映画「ヘアー」のプログラムから数点載せてみました。映画の元となったオフ・ブロードウェイ発のロック・ミュージカル「ヘアー」は、わたしが中学生の頃、日本でも日本人キャストによる上演が行われたと記憶しております。確か、ステージ上で俳優達が全裸になり猥褻物陳列罪で逮捕されたなんて記事を読んだ気が……。まあ、当時のことですから大騒ぎになったわけですね。「全裸」に「ヘアー」とくれば、良からぬ想像を逞しくして、中学時代のわたしはひとり興奮してたのであります!?

そんなよた話はどうでもよいのです。肝心の映画「ヘアー」に行きましょう。といっても、はっきりいってあまり印象がないです。もちろん全裸で踊りまくるなんてシーンもなかったはず。舞台設定は60年代後半。背景にベトナム戦争があるわけですね。映画が創られ、公開されたのが1979年、日本では翌1980年。すでにベトナム戦争は終わっている。こうなると、どうしても古臭い映画、ミュージカルに見えてきてしまっていけません。それでも、監督は「カッコーの巣の上で」ですばらしかったミロス・フォアマン。後にモーツァルトを題材にした映画「アマデウス」で確固たる地位を築きました。彼自身、社会主義国家チェコスロバキアから亡命して来ただけあって、自由な生き方を求めるがテーマの「ヘアー」の監督には、もってこいだったかもしれません。それに応え、ステージではできない演出でダイナミックな「ロック・ミュージカル」を創り上げたと思いました。

出演俳優は、ジョン・サベージが有名なぐらいで、その他の俳優さん達はやや地味目。その中で、ドン・ダカス(ドン・デューカスという呼び方もあり)は、この映画の撮影中にシカゴのギタリストとして誘いを受けていました。亡くなったテリー・カスの後釜ね。そして、一時期シカゴの正式メンバーとなったのですが、その後脱退していますね。このプログラムのプロフィールには、ボブ・スキャッグスやデラニー&ボニー等とツアーに出たこともあると書いてあります。

ロック・ミュージカルとはいいつつも、直接ロック・バンドがどうたらというものではありませが、有名な『レット・ザ・サンシャイン・イン』『アクエリアス』『グッド・モーニング・スターシャイン』など名曲の数々が流れると、やはり「ヘアー」だなぁ〜と妙な納得をしたものです。機会がありましたら、DVDも出ているようなので、あの熱かった60年代後半へタイム・スリップしてみてはいかが? なにかが込み上げてくるかも!?

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2007年11月20日 (火)

映画ザ・ビートルズ「シェア スタジアム マジカル ミステリー ツアー」プログラム

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今回は、1977年8月28日有楽町は数寄屋橋横、丸の内ピカデリーの地下にあった丸の内松竹で見たビートルズ「シェア スタジアム マジカル ミステリー ツアー」豪華2本立ロードショーのプログラムから全ページを載せました。まあ、プログラムそのものも250円で16ページというペラペラのものですから省略のしようがないといったところ!?

今年もこの時期になるとビートルズものが多数リリースされます。そんな中、先日購入した「ヘルプ!4人はアイドル」のデラックス・エディションはすごい!! とくに写真集がすばらしかったですね。その他附随するグッズも良い!! 値段も高いですが、ずっしりとした豪華感!? は十分でした。

そこでビートルズ映画といえばこれがあったではないですか!! 当時、解散してから7年とはいうものの、この年ビートルズのライブ・アルバムも発売されグループの人気は高まる一方。そこで「シェア スタジアム」のライブ映画と「マジカル ミステリー ツアー」を2本立で公開するという暴挙!? いや、快挙にうって出た松竹さん!! わたしのように伝説の世界でしか知らなかったシェア・スタジアムの全貌、マジカルの映像が見られるとあっては、映画館に行かないわけにはいかなかった!!

と、勇んで見たはいいがこれまた今となってはこの映画自体の記憶はほとんどないですね。お客さんも満員というわけでもなく、ライブのほうもレコードを流した疑似ライブだったように感じました。でも、映像は映像なのでファンの反応のすごさには圧倒されましたけど。マジカルは、放映当時不評だったというのもわからなくはない出来。ちょっとフェリーニの映画みたいでおもしろかったことはおもしろかったですが。

ビートルズのライブ史の中、重要な位置をしめるシェア・スタジアムでのライブ。現在では「アンソロジー」でより美しい映像によるライブが全体の半分ぐらい見られます。演奏も詳しくはわかりませんがライブ録音のようです。それでも映像と違和感があるので、わたしが映画館で見た時も疑似ではなく実際にこの音だったのかもしれません。また、後年「シェア スタジアム」はビデオでも発売されていたようですが、現在では当然のように存在しません(と思いますが)。「マジカル ミステリー ツアー」の方はOK!! そのうち豪華絢爛!? のデラックス・エディションなんてのも出てくるでしょう!! 

プログラムは素材があまりなかった(使えなかった)のか、デザインの苦労がしのばれます。立川直樹さん、石坂敬一さん2人の文章も当たり障りのないものに。それでもビートルズの4人が写っていればカッコイイネ!!

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2007年7月 7日 (土)

映画「グライド・イン・ブルー」プログラム

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今回は、1974年1月20日有楽町はロック&サブカルチャー映画ファンご用達、いつまでもかわいい大きさの映画館スバル座で見た「グライド・イン・ブルー」のプログラムから数点載せてみました。これはみなさんご存じのように、初期シカゴのプロデューサーとしても有名なジェームズ・ウィリアム・ガルシオが製作・監督・音楽をつとめた映画です。そんなことで映画のストーリー自体はロックと関係ないですが、プログラムの解説文を書いている音楽評論家の岩浪洋三さんは、「逆説的なヒッピー映画であり、ロック映画だ」といっていますのでいいでしょう。

そうはいっても、遅れてきたアメリカン・ニュー・シネマともいえる映画なので、あまりお客さんはいなかったような気がします。また、この時以来見てないので印象的なラスト・シーン以外記憶にないですね。ある意味、非常にまじめな映画で派手さもなく、主演のロバート・ブレイクも地味っていえば地味な俳優さんなので、やや映画としては弱い気がします。まっ、この地味さが底辺の警察官が這い上がろうとするテーマに合っているのでしょう。

シカゴのメンバーもチラッと出演していたようですが、これも残念。今となっては、あ〜出てたかな〜といった程度。もう1つのガルシオの手掛けたバンド「マデュラ」も、コンサート・シーンに出ていたようですが…。音楽はガルシオが担当、といってもこれもあまり記憶がないです!! 毎度ほんとにすいません!! そんな頼りにならないわたしの話より、この映画のサントラCD付のDVDが発売になっているらしいです!! これは気になりますね。

ガルシオがなぜこの映画を創ったのか、また、なぜいわゆる体制側の警官を主人公にしたのか、映画はこれ1本で終わったようですが、その理由は聞こえてきません。おそらくそこには初期シカゴの思想と表裏一体となったものがあるはず。やはりこれはロックの魂が見える「ロック映画」といえるでしょう。

そして、わたしのカセットテープ・ライブラリーには1曲だけ、ラスト・シーンに流れたはずのテリー・カスのソロ曲『テル・ミー』があります。非常にドラマチック、かつソウルフルなこの歌を聞くと、そのシーンを思い出すだけでなく、彼が生きていたらシカゴはその後どんなバンドになっていたのか、いやがおうでも考えてしまいます。そんなテリー・カスも、また映画の主人公も、さらには実際のロバート・ブレイクも「銃」がらみで命を落としたり事件を起こしたりと、なにやらいかにもアメリカ的です。

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