2008年4月12日 (土)

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル『光りある限り…』

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今回は、1970年9月日本でもスマッシュ・ヒットを記録したクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア』を載せてみました!? おいおい、お前さんタイトル間違えてるよ、という世間の声は無視しましょう!? というのは、いけませんね。謙虚に皆様の声はお受けいたします。実はですね、わたしの記憶違いでなきゃいいのですが、このシングルは最初こちら、『光りある限り…』がA面だったのです。ところがあまりに曲調が渋すぎて反応がにぶかった様子。しかも、B面にあたる『ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア』が、軽快で、いかにもC.C.R.っぽくヒット・シングル向きだった。そこで発売後、そう間をおかずにA、B面を逆転して再発売ということになったようです。わたしとしては貴重だぞ!! と威張りたいところですが、シングルじゃね!? 昔はこんな逆転劇、結構あったと思います。

この頃のC.C.R.、人気ありました!! 当時のクラス・メイトにやたらC.C.R.が好きな人がおりまして、だいぶ感化されたこともあり、このシングルを買ったわけですけど、アメリカでも人気絶頂期でした。この2つの曲が収録されているアルバム「コスモス・ファクトリー」も大売れ!! そこから3枚(結局アメリカでは両A面扱いだったようです。で、全6曲)のシングル・ヒットが生まれるという、彼らの名盤のひとつとなりました。最近では、ミュージック・マガジンの特集「消えた(?)名盤100」に選ばれてしまい、寂しい限りですが、そんなことはない!! と断言したいですね。

じゃあ、なぜこの渋い『光りある限り…』がA面扱いになったのか疑問が残るところ。その答のようなものが、八木誠さんが書いているライナー・ノーツにありますので、その部分を。

「今まで、C.C.R.のシングルはほとんどといっていい位、ミディアムないしアップ・テンポのもので占められたいた。しかし、この曲はスロー、それもかなり渋い感じの曲調となっている。ちょうど、過去のレパートリーからいえば、3枚目のLPに収められていた「ザ・ナイト・タイム・イズ・ザ・ライト・タイム」に似ている。でも、正確には、こちらの方がずっと聞きごたえがある。たとえば、ジョンのヴォーカル一つをとっても、これほどソウルフルな歌い方はしてなかったはず。(中略)ある意味で、彼等の中に「何か」が起こりつつあることは、充分予想される。それはともかく、この曲は大変すばらしい曲だと思います。とくに、何回となく針をおろしていくと、ますます深い魅力が伝わってくるような感じだ。だから、間違っても、1回きいただけで判断して欲しくない。」

長くなりましたが、正にそのとおりで、わたしも「こく」のあるこの曲が好きです。彼らとしてはヒットの余裕からか、たまにはこのような実力曲も出してみたかったのでは、と思いますね。聞き手の要求とアーティスト側との欲求との差が出てしまったようです。「コスモス・ファクトリー」でも、長尺の野心作『悲しいうわさ』(オリジナルはマービン・ゲイ)の後、ラストに収められていた。そこからも、八木誠さんの見方は間違ったなかったのでしょう。この後、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは徐徐に失速していってしまったのですから!!

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2007年12月22日 (土)

サイモンとガーファンクル『アメリカ』

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今回は、1971年の今頃日本で中ヒットとなった、サイモンとガーファンクルのシングル『アメリカ』を載せてみました。最近、寄る年波に勝てず!? 医者通い。この間待ち合い室に入ると、どこからともなく大音量で聞こえてくるサイモンとガーファンクルの調べ。いくら優しさに溢れた彼らの曲とはいえ場違いではないか!! どうなっているんだこの病院は!! と思ったのですが、どうやらビルが建て込んでいるため、よそから音が漏れているようです。まあ、しばらくしたら聞こえなくなりましたので、やれやれといったところ。

このようにサイモンとガーファンクルの歌は現在でもポピュラーな人気を誇っていますね。『アメリカ』も、そんな彼らの代表曲のひとつ。プログレの雄イエスがカバーしたのには驚きましたが。この曲というと思い出すのは、先立ってNHK総合で放送されたサイモンとガーファンクルのドキュメント番組です。当時、NHKに限らずテレビでこのような洋楽アーティストを放送すること自体珍しいことだったので、ほぼ正座して見てましたね。確か夜10時30分から11時までの30分番組だったと思います。それはコンサートやアメリカの世相などを映しながら、2人の人間性や音楽性を語る、正にドキュメント番組!! ライブ映像を期待していたわたしにはやや肩透かしを食らわされた感じでしたが、彼らの思いが伝わるそれこそ「記憶に残る」作品でした。そこで印象的に流れていたのがこの『アメリカ』!! アメリカン・ニュー・シネマ、そのロード・ムービーを連想させる秀逸な歌詞と番組内容が相まって放送後、人気曲になりました。

そこで急遽、日本でのみシングル・カットとなったようです。わたしもそれを買ったひとり。B面はポール・サイモンの若くして深い洞察に富んだ地味ながらも耳に残る名曲『オールド・フレンド(旧友)』。ともにアルバム「ブックエンド」から。ちなみに母国アメリカでも1年後にシングル・カットされていますが、ビルボード・ホット100に97位が最高で2週間チャート・インというさびしい結果になってしまったようです。日本盤シングルのジャケットは、ちょっと芸がないかな? ライナー・ノーツは、NHK-FM日曜夕方のリクエスト番組のDJ石田豊さん。いや〜、エアー・チェックでお世話になりました。その時のカセットは今だに聞いてます!! 2曲とも対訳つき。最後のページにはディスコグラフィーが載っていて楽しいなぁ〜!! とひとり喜んでいるのです!!

■ポール・サイモン公式サイトはこちら
■アート・ガーファンクル公式サイトはこちら

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2006年10月14日 (土)

カーリー・サイモン『うつろな愛』

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今回は、1973年ビルボード年間TOP100でも9位に入るほどの大ヒットとなりました、シンガーソングライター=カーリー・サイモンの『うつろな愛』を載せてみました。イントロのゴロゴロした印象的なベース(でしょうね)音からミック・ジャガ−とともに歌う「Don't you? Don't you? Don't you?」まで彼女のハスキーな歌声が耳に焼き付いて離れない見事な作品です。これはなにかそれまでの女性ロッカーとは違うスマートさを感じさせますね。自立した女とでもいうような、自己主張をしだした女性の魁けとでもいえますでしょうか。この頃から時代もそのような流れになって行きました。

しかし、高校生の野郎どもにはそんなことに目は向きません!! 目が向いた先はカーリー・サイモンの胸にあったのです!! 女性の方達には大変失礼なことなので、先にあやまっておきます。まあ、こんなもんなんですよ、男というのは。友人が買ったアルバムを見た時は、シングルの写真の小ささに泣きました!? そんな彼女は、アメリカでも著名な出版社サイモン&シュースターの創立者ご令嬢。ラフな格好をしてもどことなく気品があるのはそのためでしょうか。そんな家庭環境ではあっても、わたしは自由に生きるわよ、とでもいっているかのようなジャケット写真です。

才能も美貌もあれば恋のひとつやふたつわっきゃない!? ご存じのようにこちらも色男ジェームス・テイラ−との激しい!? 恋から結婚。仲がいいのかと思ったらバックバンドのドラマー、ラス・カンケルと再婚。ここまでは知っているのですが、その後はどうなっているのでしょう。このような男性遍歴がすばらしい作品を生む原動力になったのは間違いありません。この『うつろな愛』も繊細な表現の詩とダイナミックなメロディーで男女の恋の綾を歌い上げています。この曲が収録されている「No Secrets」とともに彼女の最高傑作でしょう。最近は同時代のアーティスト達の仕事と同様スタンダードナンバーを集めたアルバムなどを出しているようです。ちょっとさびしい気もしますが、音楽の世界にいることはうれしことです。

一番下の写真はエレクトラのレーベルデザインです。美しいので載せてみました。たしかLPのレーベルデザインは、表が羽根を立てた蝶で裏がこの幼虫だったと思います。しゃれてますよね。

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2006年7月 8日 (土)

スリー・ディグリーズ『天使のささやき』

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今回は、1974年夏のぶっち切り大ヒットシングル、スリー・ディグリーズの『天使のささやき』を載せてみました。どのくらいすごかったかというと、ニッポン放送(ラジオ)「ポップスベスト10」に3ヵ月もの間ベスト5をキープしていたのです。デイリー・チャートで1位を取ったなんて騒いでいる現在では、ウソのようなロングセラーを記録したのでした。もうひとつその証拠をいってみますと、実はこのレコード、わたし買った記憶がないのです。家人で洋楽に興味のある者はいないはず。なのに誰かが買ったんですね、きっと。大ヒット曲というのは、そんな普段レコードなんか買わない人達までを巻き込まないと、生まれないものなのです。そんな彼女達の人気にあやかろうと、上に載せてあるように、イメージキャラクターとして起用する会社まで現れました。とにかくここ日本ではこの曲とともに、すごい人気でした。

「フィラデルフィアのセクシー・エンジェル」が彼女達のトレードマーク。まあ、キャッチコピーですね。たしかにそのルックスは、今でいうゴ−ジャス&ナイスバディ!! ってとこですね。フェイエット・ピンクニー、シェイラ・ファーガソン、ヴァレリー・ホリデイ=3人3様の個性溢れる取り合わせはビジュアル的にもすばらしいです。また、こういってはなんですが、シュープリームス他モータウン系のアーティスト達より、日本人にはとっつきやすい雰囲気がありましたね。ライナーノーツを書いている糸井五郎さんも、「ジャケット写真なんか見てると、ヘンにブスに写っているけど、あれ、カメラマンのウデが悪いんだよ。ホンモノはすごくセクシーで、知的な美人だと思うよ。」と、ぞっこんの様子!! それはさておき、やっぱり女性3人組というのは絵になりますね。

やさしいエレピのイントロから始まり、彼女達の「ウゥ〜〜ウ、ハァ〜〜ア」というため息(これで参っちゃったんですね)、間奏の流麗に流れるストリングス(アレンジ=ボビー・マーティン)の調べ。美しいメロディーと日本人にも分かりやすい英語の歌詞(作詞作曲=ケニー・ギャンブル、レオン・ハフ)。これで売れないわけがない!! そして、この曲は来日記念盤、また、第3回東京音楽祭金賞受賞曲でもあります。コンピレーションCDで聞くこの『天使のささやき』はやっぱりいい!! その後、しばらくしてこの曲はアメリカでもヒットしました。日本人の耳もまんざらでもないなと、ちょっとは優越感に浸れましたね。また、この頃のフィラデルフィア・ソウルは、おしゃれで良かった!! そして、それほど人気が続かなかった彼女達を、時代の徒花としてとらえることも出来るでしょうが、このようなアーティスト達がいるお陰で、音楽の彩りが膨らみ、わたしたちはより楽しくいろいろな音楽を聞くことが出来るのだと思います。そんな忘れがたい曲のひとつですね。

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2006年4月29日 (土)

フランシス・レイ楽団「雨の訪問者 ワルツ」サウンド・トラック

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今回は、1970年公開のサスペンス映画「雨の訪問者」から大ヒットしたサントラ・シングル『雨の訪問者 ワルツ』を載せてみました。今年の春は雨や曇りの日が多く、春らしいぽかぽかした日はあまりありませんでした。今日もこちらは午後から雨です。とまあ、そんなことから選んだわけではありませんが、たまには映画音楽もいいかなと思ったわけです。

この曲、ヒットしましたね。映画を見る前にこのシングルを買いました。甘美なメロディーなのにどことなく不安を誘うこの曲は、映画のイメージを膨らませるのに大変貢献していると思います。そう、この映画「雨の訪問者」を絶対に見たくなること間違いなし。音楽はもちろん、フランシス・レイ。一時期映画音楽といったらこの人、といわれるぐらい活躍していました。ここ日本でも人気がありましたね。監督や主演俳優、映画の出来よりも、まず映画音楽担当のフレンシス・レイの名前が大きく扱われたりしたぐらい。この後、アメリカで映画「ある愛の詩」の音楽も担当しましたが、いかにもフランスといった香りのする音楽がこの人の持ち味です。

当時は、映画音楽がチャートをにぎわすこともあたりまえでした。文化放送の「ユア・ヒット・パレード」、これもベスト10番組ですが、よく映画音楽のテーマ曲が上位を占めていましたっけ。ビルボードやキャッシュ・ボックスのチャートを知りだした頃なので、国によってずいぶんヒット曲も違うのだなと思ったものです。映画や映画音楽も好きだったので、これはこれで楽しかったですけど。

そして、なぜかこのレコードをわたしが買ったということがクラス中に広まってしまい、やたら貸してやったことを覚えています。ねえ、こういう時だけ女の子からも声かけられちゃうんですよ。1人に貸したら他の子に貸さないっていうことは出来ないものね。次から次ぎと貸しまくりました。いや〜、よく戻ってきたなと感心するほどです。それほど人気があった曲なのですね。音楽の力というのはすごいものです。ひとときとはいえクラスの人気者になれたのですから。

この美しい音楽とともに忘れてはいけないのが主演のチャールズ・ブロンソンですね。このあたりから日本でも人気急上昇!! 有名な「マンダム」のCMが大ウケ。ジェリー・ウォーレスのCMソング『男の世界』も大ヒット!! いや〜男は顔じゃないよ、を実践していました!? 映画のほうは1、2年後に、こちらもよくあった「100円映画」で見ました。2本立て100円ってやつ。中身ははっきりいってよくわからなかったです。現在この「雨の訪問者」はビデオも絶版のようで、テレビで放映されることもはありません。こんな時代ですから、そろそろDVDになるのではないでしょうか? タイミングが合えばもう一度見て見たいですね。

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2006年2月 4日 (土)

ビリー・トーマス『雨にぬれても』

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今回は、映画「明日に向かって撃て!」の主題歌、ビリー・トーマス(B・J・トーマス)の歌う1970年のシングル、『雨にぬれても』です。最近はあまり聞かれませんが、かつては毎年梅雨の時期になるとラジオなどでよく流れたものです。一種の季節物ですね。

おそらく、この歌を一度は聞いたことがあると思います。歌っているビリー・トーマスは、カントリー系の歌手なので、この後2、3ヒットをアメリカで出しましたが、こちら日本ではこの1曲のみでした。曲を創り、プロデュースをしたバート・バカラックは、現在も精力的に活動を続け高い評価を得てますね。この歌がヒットした頃は、日本でもすごいバカラック・ブームでした。自身のオーケストラによる演奏。ディオンヌ・ワーウイックへのプロデュース曲のヒット。カーペンターズによるヒット曲。そして、この映画「明日に向かって撃て!」他の映画音楽のすばらしい仕事ぶり。当時、日本では、このバカラックとフランシス・レイはヒットチャートの常連さんでした。その音楽的影響は、かの坂本龍一さんにまでおよび、アレンジャー時代の坂本さんは、よくこのバカラックのアレンジを参考にしていたそうです。

この『雨にぬれても』は、映画とともに日米で大ヒットしました。やはり、映画の印象同様、この歌も爽やかな中にも、どことなく達観したような虚無感が漂う名曲です。たしか、映画ではポール・ニューマンとキャサリン・ロスが自転車に乗っているシーンで流れていた記憶がありますが……。これはニュー・シネマと言われていた作品群に入りますが、その他の例えば「イージー・ライダー」に代表されるような陰うつなムードはなく、上にも書いたように主人公2人、いや3人かな、の自分ではどうしようもない生き方しか出来ない人間を描いていて、結果は両者とも「死」を持って終わるのですが、こちらの方がラストシーンをストップモーションにするやさしさが監督にはありましたね。もうひとりの主演、ロバート・レッドフォードは今や映画製作者として、良質の映画を数多く製作しており、彼の良心を感じさせます。監督のジョ−ジ・ロイ・ヒルはこの後、同じニューマン&レッドフォードのコンビで痛快詐欺師物語「スティング」(すべてが粋な映画)、愛すべき小品「リトル・ロマンス」(ダイアン・レインが美少女だった頃のかわいらしい作品)や「ガープの世界」(これは奇妙な映画ながら傑作)など名作を生み出しました。

今から思うと、70年代初頭は、映画の主題歌や映画音楽がヒットする、映画と音楽(ポップス)両方が大好きなわたしには幸せな時代だったのかもしれません。

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2005年11月24日 (木)

モンキ−ズ『すてきなバレリ』

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今回は、いろいろな意味で超アイドルグループだったモンキーズの1968年春のヒットシングル、『すてきなバレリ』です。

わたしはこのレコードを買ってませんので、どうしてあるのか不明でございます。ジャケットの下がキリトリ線に沿って破れている。たぶん、なにか応募用紙があって切り取ったのでしょう。ジャケット裏の下にモンキーズ5枚目のアルバム「小鳥と蜂とモンキーズ」予約プレゼントなんて広告が載っていますので、これが目的だったのかな? なお、解説は高崎一郎さん。

前置きが長くなりましたが、現在モンキーズはちょっとした再評価の対象になっているようです。そのプロダクションの高さ、レコーディングに参加したミュージシャンのそうそうたる顔ぶれ。名曲を生み出したソングライター達の職人芸。もちろんメンバー4人のタレント性。音楽とテレビという今で言うメディアミックスのような仕掛け。どれも万全に機能して、このモンキーズという一大産業が成立していたわけです。この手法は今でも有効だ。

しかし、日本にいてTBSで放送されていた「ザ・モンキーズ・ショウ」を見ていたわたしには、そんなこと全然知っちゃいないことでした。すごいですよ、表ジャケットのカレンダー下にあるテレビのコピー。「★歌と笑いの若さあふれる「TV.カラー」人気番組! ザ・モンキーズ・ショウ 毎金曜「よる」7:00TBS系全国13局ネット 赤の日付はモンキーズ・デイ」とある。もう「明星」や「平凡」のようだ。ブリブリのアイドルなのでございます。わたしも毎週楽しみに見てました。今では考えられないことですが、こう言った番組が夜のゴールデンタイムに見られたことは、ある意味幸せな時代だったのかもしれませんね。このようなアメリカ製アイドル番組の放映は「人気家族パートリッジ・ファミリー」あたりまで続いて終わり(これも見てました)。

この曲、同じモンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』と同じくらい好きなんですね。イントロ他随所に聞かれるギター・ソロがラテンorアメリアッチ風で印象的。これも有能なスタジオ・ミュージシャンが弾いているとのこと。今考えると、このバレリという女の子は中南米系の子かもしれない。そんな想像までしゃちいます。メロディーの良さだけでなく、フックや展開の大胆さなどアレンジのうまさも光ります。ヒットシングルとしての出来は最高。売れないわけがない。(作詞作曲はボイス・アンド・ハート。アレンジはドン・マクギニス。プロデューサーの記載はありません)

作られたアイドルはやがて消えるのが宿命。それゆえに一瞬の輝きが眩しい。わたしは今でもその輝きを追っている。なぜって、こういう音楽も大好きなんです。

■モンキーズ公式サイトはこちら

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2005年10月21日 (金)

ゼーガーとエバンズ、『西暦2525年』

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今回は、1969年夏の大ヒット曲、ゼーガーとエバンズの『西暦2525年』です。

どなたも「初めて買ったレコード」と言うものがあると思います。もちろんCDでもかまいませんが、このブログを見ていただいている方は圧倒的にレコードでしょう。音楽雑誌などにも「私の初めて買ったレコード」なんて言う企画がありますね。このわたしにとってはゼーガーとエバンズの『西暦2525年』がそれにあたります。商店街のはずれにあるレコード店で(実際この当時は町中や住宅街にもレコード店というものがあったのです。電器屋さんにも置いてありました)このレコードを買った時は、ちょっと大人になった気がしたものです。それから3ヵ月間、毎日せこいステレオもどきのプレーヤーで、家族に文句を言われながら聞いていました。歌詞も覚えていたはずなのですが、もうすっかり忘却の彼方。当時、わたしはSFが大好きだったものですから、この歌の未来的なタイトルにひかれて買ったのです。もちろん、メロディアスで軽いロック調の歌自体も大好きでしたね。歌詞の意味は今読むと結構奥深いです。

このゼーガーとエバンズはいわゆる「一発屋」さん。それも頭に「究極の」と付いちゃうぐらいの感じ。この曲しかヒット曲はありません。それでも、近年流行のコンピレーション・アルバムには必ずと言っていくらいに収録されています。これは大変なことです。今現在も印税が彼らに入るのでしょうか? それより、現在でも聞くに耐えられる名曲と言うべきなのかもしれません。サイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』を思わせるフォーク・ロック調の曲が今CDで聞いても心地良いですね。ちなみに値段は400円、消費税なんてものはありませんでした。

レコードの解説書によると、この頃、RCA(レーベルの名前)は若い人向けの音楽を売ることに力を入れだしたようだ。そこでRCAの大物プロデューサーが自分の感覚に合う音楽を探していたところ、ネブラスカやオクラホマのマイナーレーベルで話題の曲を見つけた。そのソングライターはアーティストとしても才能があると見た彼は激しい争奪戦の末、契約を結んだそうである。その曲とアーティストがこのゼーガーとエバンズ。歌は勿論『西暦2525年』である。と言うことです。結果は全米で6週間1位を記録。だが、そんな2人は今なにをしているのでしょうか? 世の中きびしいぃ!!

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2005年8月13日 (土)

ジョン・デンバー「故郷へかえりたい」

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今回は時期がらこういうのはどうでしょう? ジョン・デンバーの出世作「故郷へかえりたい」。当時のFEN(今は名称が変ったと思います)からたびたび流れてくる、この曲の澄み切ったギターのイントロがやけに耳に残りました。DJはもちろん英語で話しているので、TAKE ME HOME 〜なんだらとJOHN 〜なんだらと言うことしか分りませ。しばらくすると日本のラジオ局からもこの曲が放送され、その時初めてジョン・デンバーの「故郷へかえりたい」という歌だと分かったわけです。

曲自体は非常に有名なので、間違いなく1回は耳にしたことがあると思います。70年代の一時期、ジョン・デンバーは出す曲、出す曲みな大ヒットというすごい時がありました。カーペンターズと同様、この時代の音に逆らったような音楽性がかえって受けたのかもしれません。現在ではこの「故郷へかえりたい」以外のヒット曲は聞かれないような気がします。70年代のコンピレーションCDなどにも収録されていませんし(アーティスト側の意図があってのことかもしれません)、ちょっとさびしいですね。

私生活では、たくさんの子供たちの里親さんになったり、環境問題にも積極的に活動していました。その一環で日本にも来て、南こうせつさんらとチャリティー・コンサートなどを開催するなど、彼の音楽そのままに生きていました。そのジョンも1997年10月に自家用飛行機を操縦中墜落、帰らぬ人となりました。今、この殺伐とした時代に、ジョン・デンバーの音楽を聞くというのも有意義なことと、再評価されることを願います。

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2005年5月28日 (土)

サイモンとガーファンクル『コンドルは飛んで行く』

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久々の更新。今回は、これまた説明いらずの名曲。サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』のシングル盤です。この曲が収録されているアルバム「明日に架ける橋」からは、ほとんどの曲がシングルとして発売されました(日本での話です)。わたしは『いとしのセシリア』が大好きだったのですが、こちらの歌が売れていたので買ってしまいました。ご存じのとおりこの曲、メロディーはアンデス地方の民謡。ポールが詞を付けて自分達の歌にしたのです。詞は人間が持つ願望を詠い、普遍性を持たせてあります。メロディーはいかにも日本人好みの切なさ。売れましたね。数年前まで、わたしの通勤する駅で、夜になるとこのメロディーが聞こえて来ていました。それも、生演奏のようです。駅の広場に出ると、アンデスから来た(ここは確認とれませんが)ミュージシャン達が、自分達のCDを売る為に演奏をしていました。いくつかの曲を演奏するのですが、最後は決まって、この『コンドルは飛んで行く』です。なかなか、彼等も考えてプロモーションをしておりましたが、最近はとんと現われません。やはり、生、それも只というのは良かったのですが…。

ここでポイントは中袋に、今はなきパン・アメリカン航空の広告が載っていることです。当時のCBSソニーのレコード(シングル)には「エアー・プレイ・シリーズ」と称して、この広告が載っていました。ボーイング747は当時の花形機種です。発足当初のCBSソニーの新鮮さに、この広告が斬新なイメージを与えています。

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